2014/11/19

音を分類する: Johannes Ciconia, Nova Musica

15世紀初期、少なくとも1410年までには書かれたといわれる Johannes Ciconia の著書 Nova Musica には音の分類という項がある。特に何かすごいことが書いてあるわけではないのだが、とても好きな項だ(第1論文第11項)。なんというか、とてもかわいいので、まとめをおいておこうと思う。

全ての音は明瞭なものと不明瞭なものに分類できる。明瞭なものとは理解ができるもので不明瞭とはその反対。そしてこの分類の下にさらに、記述できるものと記述できないものという分類があり、この2つの分類を組み合わせて合計4つの分類が出来上がる。

明瞭で記述できる、明瞭で記述できない、不明瞭で記述できる、不明瞭で記述できない、の4つだ。

「明瞭で記述できる」とはつまり私たちの言葉。

「明瞭で記述できない」は、口笛や病人のうめき声、弦の抑揚のように理解はできるが記述できないもの。

「不明瞭で記述できない」は、牛が鳴いたり壁が軋んだりする音のように理解も記述もできない。

「不明瞭で記述できる」は、鳥の声をcoas, cra等と書き記すことができるように、理解はできないが書き記すことができるもの。

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なんだかこんなことまで図式的、階層的な論理に従うのかという気もするが、これは E. パノフスキー (Erwin Panofsky)が著書『ゴシック建築とスコラ哲学』(本データ)において指摘しているゴシック建築とゴシック期におけるスコラ哲学の思考体系の類似性、その思考における伝統が未だ15世紀初頭まで残っていたということなのだろうか。という気もするし、恐らく既にそういった研究はされているだろうが、そこからの脱却というという面でルネサンスを捉えるというのも面白いかもしれない。

そういえばパノフスキーで思い出したが、つい先日 Facebook か twitter で最近分野横断型の思索家がいなくなったという指摘がなされていた。確かに特に戦後になって各分野の細分化、専門化、深化が激烈に進んだことで、このタイプの思索は個人レベルでは不可能なくらい困難になってしまった。
だが特に音楽など文化に関する事柄に関しては、それだけ別個に捕らえるのはその分野が必然的に内包している文化的コンテクストを見失わせる危険があると共に、味気ないな、という学術ではないが正直な感想を抱かせる。




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